(原文はB5判 縦書き3段組み)
東 京 凌 霜 謡 会
◇出席者
高田小園(大5故透夫人)、伴健次郎、岡田茂義(以上昭4)・よし子夫人、松山緑(昭5)、
石井千澄(昭7)、大久保治一(昭11)、吉野正二(昭12)、戸野本時彦、渡邊藤四郎
(以上昭13)、清野一郎(昭14)、田中秀孝(昭23)、瀧野晋(昭28)、大角征矢(昭29)
▽・・・・第三九八回・一月二十六日(土)
午後一時・於 新和海運白金クラブ
神 歌 松 山 岡 田
大 角
高 砂 松 山 岡田
大久保
屋 島 瀧 野 高田夫人
(王)岡田夫人
戸野本
(貫)吉 野
草子洗小町 大久保 瀧 野
石 井
葵 上 清 野 渡 邊
戸野本
独 吟 薪之段 石 井
仕 舞 玉 鬘 岡田夫人
大 角
一 調 松 虫 高田夫人
野 守 吉 野 渡 邊
附祝言
▽・・・・第三九九回・二月二十三日(土)
午後一時・於 銀座交詢社
戸野本
通 盛 渡 邊 石 井
渡 邊
江 口 石 井 松 山
大 角
蟬 丸 松 山 渡 邊
松 山
通小町 石 井 戸野本
融 吉 野 渡 邊
◇当月は昨年暮に亡くなられた三木静雄氏を偲ぶ追善の会とし、故人の好まれた曲のうち、
追善に相応しいものを選んで謡いました。
◇二月二十四日(日)千駄ヶ谷の国立能楽堂で石井氏の師匠遠田修氏の能『高砂』、梅若
万紀夫師の能『半蔀』他を、石井氏のご配慮で岡田、松山、渡邊(大久保氏は風邪にため
やむなく欠席)の各氏および大角がお招きに預かり拝見いたしました。誠にありがとうご
ざいました。厚くお礼申し上げます。
◇三月十日(日)中野の梅若能楽学院会館で「先代六郎十三回忌追善橘会」で岡田氏が三
老女の秘曲『桧垣』の素謡を梅若恭行師のワキ、梅若六郎師の地頭で、続いてよし子夫人
の能『三輪―白式神神楽(はくしきかみかぐら)』―常の演出とは異なった大変重い能―
を披かれました。高田夫人、大久保、渡邊の各氏及び大角が拝見いたしました。いずれも
素晴らしく、ことに『白式』は現六郎師さえも舞われていない秘曲で、後シテを眼のあた
りにしたワキ(森常好師)が平伏したのは、単なる型を越えて、その神々しさに思わず我々
も共に粛然と襟を正す思いでありました。後のイロエから神楽そしてキリと、息もつかせぬ
流れるような舞に翻弄され、気がついたらあっという間に一時間四十分が経過していました。
東京凌霜謡会の誇りであります。
◇岡田氏は既に平成元年十月に三老女の一つ『姥捨』を披かれており、今回の『桧垣』の後
は二百番中の最高峰の『関寺小町』を残すのみとなりました。近い将来是非また拝聴いたし
たく、ご精進されんことを切にお祈りする次第であります。
▽・・・・第四〇〇回・三月十六日(土)
◇本会の記念すべき第四〇〇回は松山氏のご配慮により『箱根小涌園』の貴賓館(故藤田男
爵の館)にて開催、西宮より伴健次郎氏、新潟より清野一郎氏、そして岡田夫人のご参加も
得て総勢十三名の盛会となりました。
◇午後一時開曲。凌霜人にふさわしい京阪神を舞台とする名曲五番を謡い、午後五時終曲。
それぞれ風呂に入り、さっぱりした気分で午後六時より宴会。『凌霜謡会様御献立』と書か
れた十二種類の「おしながき」を前に、清野氏が重いのに遥々持参された幻の銘酒『越乃寒
梅』で乾杯、隠し芸も出、二時間余をあっという間に過ごしました。一泊朝食後手配された
マイクロバスで下山(渡邊氏は一足先に、松山、清野両氏は少し残って、また大角は所用で
前日宴会後失礼し)それぞれよい思い出を胸に解散しました。
◇松山様には何から何まで、心尽くしのご配慮に厚くお礼を申し上げます。
▽第四〇〇回記念大会番組
大 角
竹生島 岡 田 田 中
忠 度 石 井 清 野
岡田夫人
熊 野 松 山 渡 邊
戸野本
独 吟 隅田川 石 井
弱法師 伴 瀧 野
鞍馬天狗 大久保 吉 野
附祝言
(大角 記)
(転写注) 1月例会の開催場所「親和海運白金クラブ」を「新和海運白金クラブ」に訂正。