(原文はB5判 縦書き3段組み)

 

  リレー・随想ひろば

                謡 曲 の 思 い

                        西村二郎    (40-昭7)

 

 昔から下手の横好きという言葉があるが、此の世の中には何と下手の横好き族の多いこと

 

だろう。長唄、小唄、清元、常磐津などの粋筋を始め、碁、将棋、マージャン、ゴルフ等々

 

スポーツ、勝負事ありとあらゆる面に存在する事は先刻御承知の通り、近頃割合に流行の謡

 

の類も勿論例外ではない。ないどころか下手の横好きが最も跳梁する部門だと思う。このこ

 

とは謡曲を吾が身生涯の唯一の趣味とし楽しみとして居る私自身に照して見て間違いなく断

 

言し得る処である。

 

 芽出度い婚礼の席やクラス懇親会の席上なら兎も角、一般の酒席や御通夜の席などでも、

 

人に煽てられると良い気になって長々とうなり出す。列席の人達が内心どんなにうんざりし

 

いるか、そんな事はアイドントケアで止めない。時たまには座興になることもあろうけれ

 

ど大低の場合は早く済めば良いと思われていることを御存知なしに。だがやっている御本人

 

は全く大真面目の大熱演なのだから考えてみると可愛いいものであり、稚気愛すべしという

 

べきか。うか皆様も若しこうゆう場面に出食わされたら不運と諦め、観念して聴いてあげ

 

て下さい。夢々、途中で拍手などして、謡い手に恥かしい想いをさせるものぢやありません

 

 閑話休題、私の好きな東京凌霜うたい会のことを少し御紹介します。

 

 この会は二十年程も前に、六回の故音申吉氏の音頭取りで六回の同好者数名が日毛の白金寮

 

に集まって創められたのが起源と聞く。其後先輩後輩の同好者を加え、名も東京凌霜うたい

 

会と称し、初代会長故音申吉氏、幹事に十回の故高田透氏を得て盛大な同好会に成長して行

 

った。流派は敢えて問わず、宝生、喜多、何流でもよいのだが、矢張りやってる人の数から

 

云って観世流が主流をなしている。会長、幹事が最も苦心されたのは月例会の会場で、明治

 

鉱業の寮を拝借したり、代々木八幡の渋谷区民会館を利用したり、窮余の策で成城の喫茶店

 

の二階を借りたり散々苦労されたが、約十余年以前先輩出光氏の御厚意により同社の大久保

 

寮を使わせて頂くことになって始めて会場も定着することが出来た。殊に同寮は広々とした

 

庭園に、四季とりどりの花を配しこれに向って謡を謡えば、雨につけ晴れにつけ、月につけ

 

雪につけ、絶好の環境であり、同人の慰められること筆舌に尽し難く更に番数終って細かな

 

宴に移り、酒数行にして陶然たる境地に達するのを常とするであって、出光氏の御厚志に更

 

めて厚く御礼を申し上げる次第であります。

 

 更に本会はこの月例会のほか年一回又は二回遠出の会を開く。或は箱根、鶴巻温泉、山中

 

湖畔、湯河原と云った環境の良い場所を選び、大低は会員の伝手を求めて会社の寮を拝借す

 

る。出光寮で番組終了後、一献酌み交わすのも良いが、之は亦遠出一泊の気安さで夜更け迄

 

談論風発、飲み合うのも愉快なものである。

 

 斯くして、東京凌霜うたい会は新人に新人を加えて発展を遂げ、現在会員四十数名、月例

 

会は常時十五/六名の出席を得て盛大に催されて居る。一寸茲で訂正して置きたいのは、現在

 

の会員は殆ど斯道のベテラン揃いで、冒頭に書いた下手の横好き族ではない事を申し上げて

 

置く。

 

 会長は音氏亡きあと九回の臼井経倫氏、幹事は名幹事十回の故高田透氏のあと小生を経て

 

二十三回の安村慶次郎氏に引継がれているが、この御両所のコンビが絶妙で、御両所ともに

 

謡歴の長い達人であることは云わずもがな、会の運営、指導に妙を得、その御人徳と御努力

 

と合せ、今日の会の発展に寄与せられたること計り知れざるものがある。

 

 本会の常連は(敬称略)四回の江波戸、近藤、六回の日塔、九回中村夫人、十回藤井、三

 

田、西川、高田夫人、十二回小西、飯田、小生、十四回秋葉、岩田、十六回田中梅、十七回

 

木阪、大橋、十九回丸山、二十三回伴、三木、二十四回松山、学一の山根更にずっと若い処

 

では学十三の諌山、十四回の高岡、山口、経二の山家、経済十六回の植田の諸氏、それに特

 

別会員の沢木氏(如水会)太田黒信子さん、中野峯子さんなど紅紫取混ぜ綺羅星の如く、殊

 

に故音、高田氏に続き拍子謡に堪能なる多士済々、高田女史を筆頭とする女流軍の立方と沢

 

木、西川、高田女史、大橋氏らの鳴物とのコンビで一調、仕舞、舞囃子が加わりその華やか

 

なこと、兎角素謡だけに陥入り易い此種謡会に艶のある潤いを与えていることは会の特色と

 

云っても良い。

 

 先ほども云った通り、私は下手の横好きの尤なる者、人生唯一の慰めとして謡を好みこの

 

会には欠かさず出席して末席を汚して居ったのであるが、それでどれだけ心の安らぎが得ら

 

れていたか計り知れぬものがある。殊に脚腰の不調でゴルフがやれなくなったあと兎角運動

 

不足に陥り易かったのに、此の腹の底から声を出す発声法の必要な謡によって適度に解消す

 

ることが出来たのは二重の幸せであった。

 

 此の春、老後に備えて長年住み慣れた東京を去り故郷の京都に移ってからは、此の懐かし

 

い会にでるチャンスが尠なくなったのは誠に心淋しい。何とか機会を作っては出席もして見

 

たいと思ってる。然し関西にも同好会があり母校在学の若人も混えた会合があると聞くので

 

是非拝聴に行きたいと思うし、幸い家の極く近くに京都観世会館があるので、大家の定期能

 

を見たり素謡を聴きに行くことにしている。殊に京都とその近郊には謡曲のふる里というか

 

由縁のある名所旧跡がわんさとあるので、暇に任せて訪ねて廻るのも限りない楽しみであろう。

 

 次回は、大13回(大8)、長岡英三氏にお願い致します。

             -- 大7・山和商船株式会社顧問 ――