(原文はB5判 縦書き3段組)

          

          能 謡 を 楽 し む (その二)

                   

大5 高 田  透

 

 

 

 (前回伊藤述史氏の追記)

   伊藤氏は謡の外、仕舞、笛もやられたが、それらの師匠名を聞き漏らしたことは残念で

 ある。笛については或る日、会場で大きな胡桃の実を二つ手中にして、絶えずつまぐって

 いるので、「それは何ですか」と聞くと「こうして指の運動をさせるのだ。そうしないと、

 笛を吹くとき指の動きが粘って困るのだ」と答えられた。笛の練習にこうした運動法が

 ることを、その時初めて知ったものだ。

 

 (2)  音申吉氏(明四五年卒―昭三七年没)

  音氏については同氏が亡くなった時、本誌一六七号、一六八号にも寄稿しておいたが、氏

 は東京凌霜うたひ会の創始者であった。この会の前身は「ヒマラヤうたひ会」であった、こ

 れは昭和二十四年頃以来継続していたが、昭和二十九年に「凌霜うたひ会」に改名された。

 その当時の情況は音氏が残した左の手記よって明らかである。

 

      凌霜第六期の伊達、日塔、竹内、音、久々江が観世流の謡を嗜んで居るので、二年程

   前から毎月一回謡会を楽しんだ。ヒマラヤうたい会と称した。追々凌霜同人が参加して

   今では十数人を数えるようになったので、此月から凌霜うたひ会と改めた。

        京浜が開催地である為、自然、観世流を習って居る者が多いが、宝生流の江波戸君が

             熱心に参会されるし、金春流の井上貴与記君が来会される事もある。今は引続き日本毛

   織の白金寮で土曜の半日を楽しみ、会後簡単に盃を交わして歓談する事にして居る。

   会員の夫人方で応援参加される方もあり、大変和やかな催となった。

                           昭和二十九年三月二十日  音 生

 

  この手記の日、すなわち二十九年三月二十日に日毛寮で催された謡会への出席者の記録を

 ると、三田村明、伊達泰次郎、沢木正太郎(一橋出身で元日毛の同僚)、松本幹一郎、久住昌男、

 音申吉、西川清及び筆者夫妻となっており、演し物は嵐山、忠度、千手、隅田川、鞍馬天狗、

 外に囃子、笠之段、熊野となっている。

   会員の殆どは観世流であること、現在に至るも同様であるが、それでも宝生流の江波戸鉄

     郎氏、吉谷吉蔵氏、玉伊辰良氏、後ち山根勇氏、宮保卯吉氏等、また喜多流の松本幹一郎氏、

     久住昌男氏、藤田寿雄氏等の参加も時々あった。

      会場は最初の日毛白金寮から一時、特殊ポンプ(日機装の前身)の階上、渋谷区民会館等を経

    最近はもっぱら出光西大久保寮を拝借して居り、また年に二回位、箱根、熱海、湯河原等の旅館

    や会社寮に一泊掛けで遠出を試み、しばしば浩然の気を養って来た。

 

   さて、音氏の人となりに就いては、交友の広かった人だけに種々の形容詞や呼び名が用いられ、

    或いは哲人と呼ばれ、先覚者といわれ、或いは事業家と称せられ、また慈父と慕われた。音氏の

    追想録「残声」(昭和三十八年、日本機械計装発行)に載せられた同級、石井光次郎氏の文に、

   

       音君という人は不思議な人であった。大きな声でしゃべるのでもなく、派手に動き回る

      わけでもなかった。それでいて、誰もの心に、しっかり彼を植えつけていった。徳の人と

      いうのであろう。

 

 とあるのは、もっともよく故人の性格を表現したものと思う。また石井氏は「音君の謡曲は一種

    特別で、音流とでもいうものであろう」と評された。

 

  音氏は観世流、清水福太郎氏、橋岡久太郎氏、清水養之助氏に師事した。謡曲を始める前は

    八の名手で、三曲合奏などを好んだとのこと。謡曲を始めてからはこれに心酔して、私の形容に

    よれば教祖的な存在となった。謡に教祖などという名はないが、それが音氏の風貌にもっともよ

    くうつる名称だと私は思った。石井氏のいわれる「音流」と一脈通じるものだ。要するに謡い方

    に一家の見を持ち、自分の主張は何所までも押し通し、他人への批評は辛辣を極めた、その反面、

    非常に愛嬌があり、必ず同好者に親しまれた。

  

  晩年は声が嗄れて、往々よく聞きとれないこともあった。それでも自分では医者の言を信じ

    健康体だといい、一調などを好んで謡った。昭和三十七年の晩春、四谷内科に突然入院され、

    の後虎の門病院に移ってからは昔日の観なく、日々に痩せ衰え、遂に七月九日未明他界された。

    それを知った時は本当にがっかりしたものだ。

   なお、音氏の面影や逸話は前記「残声」に満載されているので詳しいことは省く。

                               (四〇・一二・一〇)