(原文はB5判 縦書き3段組み)

           能 謡 を 楽 し む (その五)

                         大五 高 田  透

 

 凌霜人謡曲歴調べ (3)

    西川 清氏(大正5

  (1) 謡・大正十三年から

   大鼓・昭和十三年。小鼓・昭和二十二年

  (3)師匠名 謡・野村史郎氏、のち清水要之助氏(観世流)

       大鼓・安福春雄氏(高安流)

       小鼓・北村一郎氏(大倉流)

 

 松川武一氏(大正5

  (1) 謡、大正六年、謡曲愛好の友人に勧められて始めた。

  (3)先代観世鉄之丞師に師事すること数年

 

 松川光江夫人

  (1) 昭和十五年

  (2) 戦前二男を失った時、同好者に勧められて。

  (3) 観世流小沢良輔門下相沢康子師

  (4) 現在は清水要之助師

  

 藤井喜代治氏(大5

  (1) 神戸の寄宿舎にいた頃上田君、石橋君等同志五、六名と隣に住んでおられた中川静教授から

    田村、竹生島等の手ほどき(観世)を初めてしてもらった。

  (2) 大正末期芝川商店に在職の頃、同業の中川卯之助(淡路千景さんの父君)、得意先の柴田武

    治、芝川と最も関係の深かった日毛の音申吉の諸氏(今は何れも故人となった)がコンビで

             隔月位に橋岡舞台で能を演じたもので(音氏は地方)それを時々見に行かされたものですが、

             昭和三年同業土井氏(梅若新太郎後援会長?)から勧められて同志五、六名が先生に芝川へ

             来てもらって始めた。

  (3) 梅若新太郎師について約十年間に百番程のものを終えてそろそろ地拍子を始める段階に入っ

    たが、昭和十三年非常時色濃厚となるに及んで総てを打ち切った。

  (4) 爾来二十年間謡曲とは全く縁がなかったが(尤も戦災で謡本全部焼失した関係もあって)先

     年正五会が箱根で催された際、上田水足君と久し振りに謡って中川教授の頃を偲んだのが奇

     縁となって謡曲を始めることになったが、特に師匠にはつかず。

   (6)謡曲についてはやればやる程むつかしいと思いますが、その他についてはまだ感想を述べる

              だけの知識を有せず。

 

 三田三郎氏(大5

  (1) 大正十二年在台当時満二ヶ年位、その後中断、昭和三十九年再始

  (2) 三井物産在職時先輩同好者の勧誘が動機

  (3) 梅若流(観世)戸田勇三、大塚信太郎師

  (4) 現在師匠なし。凌霜うたひ会を通して研鑽中。

 

 中川松治郎氏(大5

  (1) 昭和十五年頃始めた。

  (2) 斯道の先輩に導かれて。

  (3) 木原康次師(観世流)

  (4) 終戦後全く中止

 

 土岐茂子氏(大5土岐政蔵氏未亡人)

  (1) 謡―昭和七年三月。 仕舞―昭和二十年三月。 鼓―昭和十六年三月。

  (2) もと和歌山高商校長岡本一郎先生夫人のすすめにより。

  (3) 小林憲太郎師(観世流)

  (4) 小林憲太郎師

 

 高田 透氏(大5

  (1) 謡―明治三十八年十一才の頃、祖父が晩酌後の慰みに私に小謡を教えた。竹生島、高砂、

    熊野等十曲ばかり無本で習った。

  (2) 神戸高商入学前は尾道市で約三年喜多流や観世を稽古し、卒業後大阪で観世大西派の師匠に

     就いたが、余り実を入れてやらなかった、先生の名も忘れた。

  (3) 本気で稽古したのは青島三井物産時代(大正十二年―昭和三年、足掛け六年)梅若実(当時

    六郎)の内弟子出身の黒川正六氏に就いて習った。  

 (4) 昭和三年東京に来てからは特定の師匠に就かず専ら観世、梅若の能や謡会を暇にまかせて見

    学してまわり、大いに得るところがあった。

  (5) 十三才の頃、尾道で船弁慶の子方に出たのが初めの終わり。能楽書を臘るのは好きだが能を

    やりたいとは思わぬ。

  (6) 能は謡曲、仕舞、囃子を底辺とするピラミッドのようなもの、そのリズム組織は邦楽にも類

    例がなく、世界に誇り得るものと思う。「地拍子五指法」という拍子法を考案した。

 

 高田尚子(高田透氏夫人)

  (1) 謡は昭和十五年に始め、二年余りで師匠の応召や疎開で停止、二十三年再開して十二、三年

    間続けました。仕舞は三十年から、小鼓は二十五年から、大鼓は三十六年から、何れも断続

    的に。

  (2) 謡は従姉にすすめられて、小鼓は習いたくて、仕舞は友達の勧めにより、大鼓は舞囃子を舞

    うのに必要を感じて。

  (3) (4)謡―瀬戸祥孝師(観世流)。小鼓―丸岡貞子氏。後、近藤全宏師(幸流)。仕舞―梅若雅

    俊師。大鼓―安福春雄師(高安流)

  (5)昭和三十二年菊慈童(水道橋能楽堂)、三十四年三井寺(喜多能楽堂)、三十七年袴能清経

    ツレ(染井)、三十八年松風ツレ(梅若舞台)、三十九年蟬丸シテ(梅若能楽院)

  (6)能を舞うのは本当にむづかしいと思いました。しかし苦労して稽古し、無事にすんだ後の楽

   しさは得難いものです。