(原文はB5判 縦書き3段組み

          能 謡 を 楽 し む (その六)

                         大5 高 田  透

 

 凌霜人謡曲歴調べ (4)

  要目 (1)  謡(仕舞・鼓・大鼓)を始めたとき。

     (2) 始めた動機

     (3) 最初の師匠名(流名)

     (4) 現在の師匠名(流名)

     (5) 能を舞った曲名、年月日、舞台名

     (6) 謡曲、仕舞、はやし、能に関する感想

 

 伊藤則忠氏(大6

  (1) 明治四十五年、伯父三木百太郎に観世流を習う。大正四年頃在学中に観世流青飄会創設、植田

    師匠を学生会館に招き観世流稽古を始む。

  (2) 一族に同趣味者多く、伯父三木百太郎方より通学せしめため稽古を始む。

  (3) 観世流三木百太郎

  (4) 昭和二十年戦災後師匠なし(以前は観世流橋岡派中道先生に師事)

  (5) (記録、写真等焼失して不明)

    昭和四、五年頃、袴能、清経(大坂大紙倶楽部)、盛久(同左)

  (6)心身の鍛錬と文学の素養を高める。

 

 京藤甚五郎氏(大6

  (2)謡、動機というほどのものなし。

  (3)梅若春雄(大正十年頃)梅若流。

  (4)二、三年前まで武田小兵衛(観世流)

  (5)良いものであるの一言に帰します。

  

 吉川治一郎氏(大6

  (1) 謡、大正八、九年頃

  (2) 会社の友人の勧誘

  (3) 宝生流を団体教授で一年程やっただけ

  (4) 観世流竹谷文一師

 

 青木又雄氏(大7

  (1) 謡(大正四年秋頃より)、仕舞(昭和十五年より十七年まで一年半位で中止)

  (2) 神戸高商在学中、下宿したのが観世流小島先生の宅でムリヤリに教えられた。卒業後大正八年

    からは面白くなって遂に五十年の病付きとなる。

  (3) 小島甚三郎氏(一年)、囃喉権九郎師(梅若)

  (4) 最近十年は師匠なし、最後は大槻門の島米次郎師

  (6)謡曲のみに徹して自らの楽しみとしたい。その以外は能をなるべく多く見て観賞と同時に謡曲

    の真奥を知りたい。

 

 小西幸之助氏(大7

  (1) 大正十二年震災後、梅若家元が大阪にきてから。仕舞、小鼓は途中で中止、現在素謡のみ。

  (2) 梅若流(当時)大阪の後援会会長長谷川義郎氏(死亡)の勧めにより。

  (3) 小川健太郎、平井宗一郎両師各月交替

  (4) 梅若雅俊氏、但し此処二ヶ年休止。

     小山健太郎氏  〃   〃

  (6)年に二、三度は能を見たいと思うし、素謡も謠って見たいと思います。

 

 松本幹一郎氏(大7

  (1) 謡、昭和二十六年一月

  (2) 父方祖父宝生流、母方祖父喜多流、父喜多流の関係がありましたところに辛島浅彦、山中清三郎

     御両氏からの御すすめがありました。

  (3) 喜多実先生

  (4)喜多実先生

  (5)謡だけにしたいと考えて居ます。

 

 西村二郎氏(大7

  (1)五、六才(幼稚園時代)より十一、二才位迄謡曲を、其の間多少仕舞を習いましたが皆

            忘れました。

  (2)親父の強要により。

  (3)実父(北川米太郎)観世流(京)

  (4)無し、元昭氏に手直しを受けましたが、(昨年)半歳で棒を折りました。

  (5)京都の片山の舞台で隅田川他二、三の素謡の子役をやったことがあります。

  (6)歳と共に古典芸能に対する心酔の度を深めますし、旁々引退後の絶好の楽しみと思います。

   但し苦労するのは好みません。

 

 和田伝太郎氏(大7

  (1) 謡・・・・・・大正九年

    ワキ・・・・昭和二十五年

  (2) 友人からすすめられて。

  (3) ワキ高安流 植見源三郎師

  (4) 観世流小林憲太郎師。 ワキ副王茂十郎師

  (5) ワキとして出演蟬丸、弱法師、船弁慶、熊野、藤戸、小鍛冶、鉄輪、鉢木、羽衣等十五番、

     阪大槻舞台、大阪能楽協会、和歌山等。

  (6) 奥深く、やればやる程六ケ敷いものと思われます。

 

 三田村明氏(大7

   「拝啓 新緑の候益々御壮栄の段大慶に存じ上げます。先般凌霜うたひ会に関し御懇書頂き

        乍ら御返差し上げず、非礼の段お許し願います。実は小生事数年前より視力を損傷し、種々

  治療に尽くしましたがいまだ恢復致しませんので、爾来専ら引籠り中にて折角の度々の案内に

  も出席致しかね、誠に申訳なく存じて居ります。御来示のアンケートに対しても御返事申上げ

  る程の謡歴もありませんので勝手乍ら失礼させて頂きます。ただ大正十一年頃より五、六年間

  同好の友人と観世流謡を練習したにすぎません。

  音氏に代わって大兄色々御尽力の御様子此の上共に御発展の程を蔭乍ら祈り上げます。草々」

 

(附記)本稿に関する御連絡は左記へ 

     東京都世田谷区経堂町XXX