(原文はB5判 縦書き3段組み)

 

          能 謡 を 楽 し む (その三)

                       大五 高 田  透

 

 凌霜人謡曲歴調べ (1)

   東京の凌霜うたひ会のメンバーと関西の凌霜謡曲会のメンバーの謡曲キャリーアの調査を思い

 立ち、アンケートを取って見たところ八十九名の方から回答があったので、これを順次掲載させ

 て戴きたいと思う。アンケートの項目は次の通りである。

 

 〇謡曲キャリア調べ

  (1) 謡(仕舞、鼓、大鼓)を始められたとき

  (2) 始められた動機

  (3) 最初の師匠名(流名)

  (4) 現在の師匠名

  (5) 能を舞われましたか(曲名、年月日、舞台名)

  (6) 謡曲、仕舞、はやし、能に関する御感想

 

  関西のメンバー諸氏には大部分の方に面識がないので大体回答のままを項目順に記載すること

 にする。関東の方に関しては時宜により注釈を加えることもあろうと思う。

 

 高井勘太郎氏(明40

  (1) 謡を始めたのは古いことです。

  (2) 動機というほどのものは別にない。

  (3) 最初の師匠は観世流小林憲太郎師、梅田邦久師(共に片山一門)

  (4) 現在の師匠も同様。

  (5) 能は前後十三番程舞った。最近では去る五月(四十年)に和田伝太郎氏のワキで「鉢木」を

   舞った。

  (6) 感想。どれもむつかしくて一向に進歩しない。併し趣味としては私に最適、また健康にも得

   るところが多いと思う。

 

 古井保太郎氏(明40

   ここ数年來やめておりますので失礼いたします。

 

 矢野政氏(明41矢野端氏未亡人)

   謡は健康によいと存じ始めました。現在、観世流清水要之助氏に師事しております。

 

 佐々木貞子氏(明41佐々木義彦氏夫人)

  (1) 小学校五年生の頃、叔母(故観世清廉に師事)から二、三番習いました。

  (2) 謡曲本が読めないので、半紙をとじて平仮名で自分で書いたものでした。

  (3) 師匠は故観世左近。当時まだ清久を名乗っておられた先生に避暑先、鎌倉で御手ほどき願った

     のが初めでございました。爾来二十余年、四十五才で先生御急逝までと絶え勝ちの(明治天皇、

     大正天皇崩御、御諒闇中の二ヶ年、私共が神戸須磨に十年間転居しておりました為)お稽古で

              教えて頂きました曲も廿数番という乏しいものでございますが、下手の横好き、いまだに何に

              もまして謡曲が好きでございます。

      (注)因に佐々木貞子氏の謡は素人離れしており、殊に婦人に似合わず落付きある声調で

                  「井筒」など伺うと観世左近の再現かと思われる。

 

 鈴木寛一氏(明41

  (1) 謡を始めたのは大正六七年頃か。

  (2) 健康(発声)と漢文、作詩に一層の趣味と研究を深める為。謡曲に唐詩の多数の引用に驚く。

  (3) 師匠。観世流。古い昔、有楽町の清水(福太郎)先生。老生が始めて半年後故音(申吉)君が

     入門す。

  (5)無し。(息子譲一。神戸大学12には少し学ばせたが)

  (6)感想。凡て永久保存すべき古典、宮中の音楽の源泉より起りしもの。各位、源流を探ねて尚一

   層御研究を希う。蓼瀕八十二病痩。

 (注)氏は過去二ヶ年半病臥中とある。

 

 田中載吉氏(明42

  (2)友人に勧められて始めた。

  (3)観世流小川秀太郎氏(広島)

  (4)観世流永木基之氏(広島)

  (5)大正十年秋、台湾神社にて敦盛のワキを勤めたことあり。

  (6)謡曲を稽古したことは私の一生にとり非常に幸福をもたらしました。現在の如く老境に入って

   は同好の者が毎月一、二回会合して謡うことが唯一の楽しみです。

 

 浅野充知恵氏(明43浅野哲夫氏未亡人)

  (1) 鼓を始めたのは約四十年前

  (2) 長唄に熱中していました時、喜多流の或る夫人に無理矢理に鼓をすすめられ和歌山三和銀行支

     店長時代に幸流の高木敏郎師(大阪)に師事し、後、幸祥光師に入門、時折り上京してお稽古

     願いました。唯今お稽古は続けておりませんが、舞出演の時だけ一、二回位いおさらえして頂

             きます。

  (6)私は囃子(鼓)を主に長年この道を楽しんで参りましたが、やはり謡曲が根本 ですから、好

   いお謡で無我の境に入り、心ゆく許りに鼓が打てました時が一番幸福を感じます。(観世銕之

   亟先生のお相手の時の感想です。愚見お笑い下さいませ。)

 

 江波戸鉄太郎氏(明43

  (1)明糖社長(故人)にすすめられ、いやいや始めた。

  (3)最初の師匠。宝生流、斎藤篤(故人)

  (4)現在の師匠。野村蘭作(宝生)

  (5)演能。山姥(昭3763水道橋)舟弁慶(昭39328水道橋)

  (6)やればやる程むづかしい。骨が折れるが面白い。

 

 近藤得三氏(明43

  (1) 大正元年

  (2) 娯楽設備の不十分な外地に居住して居ましたので、先輩の勧誘により始めました。

  (3) 時々内地から来られる色々の先生に習いましたが、終戦帰国の後、緑泉会津喜美子師に就いて

    最初からやりなおし其後大阪で大槻十三師一門の田村勇師に就きました。現在は師匠に就いて

    はおりません。

  (6)只だ好きでやって居りますが健康上にも良いと思います。

 

 橋本やな子師(43橋本成子郎氏未亡人)

  (1) 昭和十二年に始め、その後一時中断して居りましたが最近また始めました。

  (2) 健康の為めと友人のすすめにより。

  (3) 戸田誠二先生(梅若)

  (4) 清水要之助先生(観世流)

 

 (附記)

  この凌霜人謡曲歴調べにまだ御投稿下されていない方からのアンケートを歓迎いたします。前掲

 の項目順にご記入の上左記へ御送付下さい。

    東京都世田谷区経堂町XXX  高田 透