(原文はB5判 縦書き3段組み)

            藤井先生の謡

                          31年法  里 井 三千雄

  

  藤井茂先生が急逝された。

 先生とは六月十七日の凌霜謡会でご一緒し、お元気であったので僅かその後十日余りで

 訃報に接するとは夢にも思わず、驚愕の一語に盡きる。

  先生の最後となった凌霜謠会での曲目は「恋重荷」で先生がシテをなされ、地頭を私

 が務めさせて頂いた。「恋重荷」は大曲の一つで、能の世界では「卒都婆小町」や「木

 賊」と共に重習中伝物で高座の品格と技巧を要する曲である。

  しかし、その日の先生のお謡は、いつもと違い、お声に何となく力がなく少し急いで

 謡われていたので、正直の所、かなり衰えられたように感じた。でも謡われた後の懇親

 会では、平常通りの穏やかな調子でスピーチをされ食事もされたので、帰る頃には先生

 の謡の事も忘れ、案ずることなくお別れしたのである。

  私は法学部出身で先生のご専門の国際経済学とは全く無縁の門外漢であるが、学生時

 代より趣味の謡曲を通じ、今日まで長くお近か付きを得た。

  先生は神戸高商ご在学中より謡を始められ、私が在学中には、宇治正夫師に師事され

 ていた。

  私事にわたり恐縮であるが、私の父が大槻能楽堂で宇治先生と同門であった事から、

 私も宇治先生に謡を習い、ご一緒に謠会で何回か出演したものである。当時の事は先生

 の随想集「あの時この折」にも書かれている。

  先生の謡を一言で評すれば剛直にして豪快、力強いお謠いであった。しかい勿論曲趣

 曲柄を存分に生かし、淡々とした中にも真情あふるる思いを込められたお謠いで、先生

 のお人柄が良く現われていたように思う。

  先生はどちらかといえば、修羅物といって勇ましい武者登場の曲を得意とされたよう

 で「頼政」「実盛」「盛久」「鉢木」等がお好きでまさにその中の「語り」のお謠いは

 絶品であった。今でも「鉢木」や「隅田川」の先生のお謠いはありありと思い浮かべる

 事が出来る。

  先生に長い間、凌霜謡会の幹事をして頂き、大変お世話になった。特に阪神大震災で

 倒壊したが阪急六甲駅近くの松泉館舞台で先生と謡った想い出は盡きない。

  先生は私の母と同年という事もあってか、お会いする度「里井君、親孝行しています

 か?」と問われ母の事を気遣って頂いた。

  私は柚木ゼミで柚木先生も謡をやっておられたが、柚木先生が亡くなられてからは何

 だか藤井ゼミの一員のように勝手に思い込み、いまだ人生の師と仰いで来た。

  藤井先生に亡くなられて父を再び亡くしたような気持ちで寂寥感で一杯である。

  謹んでご冥福をお祈りいたします。

                                   合掌