(原文はB5判 縦書き3段組み)
東 京 凌 霜 謠 会
数年来舞謡に熱心な京浜凌霜人が、毎月芝白金の日毛寮を借りてのど自慢を競って居たが、世話人が
筆不精で本誌への報告を怠って居た。今夏臼井君の斡旋で熱海の旧三菱寮に会場が獲られたので次の通
り別会を催した。
日時 七月六、七両日
会場 養和会 こあらし荘
素 謡 組 (順序不同)
観 柏 崎 臼井 経倫 森川 瑛
観 芭 蕉 森川 瑛 臼井 経倫
観 三井寺 日塔 治郎 玉伊 辰良
吉谷 吉蔵
一 管
吉谷 吉蔵
一 調
放下僧 音 申吉 沢木正太郎
江波戸鉄太郎
宝 百 万 玉伊 夫人 吉谷 吉蔵
観 遊行柳 西川 清 玉伊 辰良
観 弱法師 西村 二郎 沢木正太郎
独 吟
隅田川 佐々木夫人
囃 子
佐々木夫人 大 玉伊 辰良
松 風 音 申吉
西川 清 小 玉伊 夫人
舞囃子
大 西川
実 盛 山中清三郎 地 音
小 沢木
玉伊 辰良
宝 桜 川 江波戸鉄太郎 玉伊 夫人
観 藤 戸 小西幸之助 西村 二郎
舞囃子
大 西川
七騎落 江波戸 地 音 小 沢木
笛 吉谷
玉伊 夫人
観 景 清 音 申吉 江波戸鉄太郎
附 祝言
最も熱心な常連の伊達、田中、高田諸兄と三木六郎夫人、松川武一夫人が、先約の為に参加出来なかった
のは、残念だったが、佐々木義彦氏夫妻、山本三郎君、中村二郎君など有力な新顔の参加を得て大変賑やか
であった。
毎回真摯な演技を示された喜多流同人も藤田寿雄君が新嘉坡に去られ、松本幹一郎君は社用の為不参で遂に
聴く事が出来なかったが、山中君が同流名人六平太師直伝の妙型を観せられた、唯地謡が流違いであったの
で、太夫尠からず気合を紊された事かと思う。
宝生流は長く江波戸大人が唯一の常連であったが、近来同流の参加を増し、今回の江波戸、玉伊夫妻、吉
谷吉蔵、山本三郎諸氏の練達なる士を加えて、同流独演の番組を加えた、本来格調高い流儀なるに搗てて加
えて練達の士が揃うたので、中々聴き応えがあった。
囃子は高安流太鼓西川清君、幸流小鼓玉伊
夫人と沢木客人、葛野流太鼓玉伊君、一噌流
笛吉谷君と孰れも妙手揃い、残念な事は太鼓の
同人が未だ名乗りを上げない事である。
当日の記念写真ですが、来会者全員揃うて居
ないので残念ですが、前列向って右から沢木、
音、江波戸、佐々木、同夫人、玉伊夫人、後列
右より森川、玉伊、西川、日塔、吉谷、小西、
臼井、西村の諸兄、
場所は申分無し、御時世の御蔭で三菱の御別邸を独占して他人を混えず、同窓同好、話は弾むし、芸に、盃に、
十分の歓を尽くした。
囃子は高安流太鼓西川清君、幸流小鼓玉伊夫人と沢木客人、葛野流太鼓玉伊君、一噌流上吉谷君と孰れも妙手
揃い、残念な事は太鼓の同人が未だ名乗りを上げない事である。
当日の記念写真ですが、来会者全員揃うて居ないので残念ですが、前列向って右から沢木、音、江波戸、佐々木、
同夫人、玉伊夫人、後列右より森川、玉伊、西川、日塔、吉谷、小西、臼井、西村の諸兄、
場所は申分無し、御時世の御蔭で三菱の御別邸を独占して他人を混えず、同窓同好、話は弾むし、芸に、盃に、
十分の歓を尽くした。
尚母校にても斯道各流が盛んに行われて居るそうで、六月廿三日の宝生流全国学生連合大会競演の為上京された
母校宝生会の柳君外十数氏を迎えて如水会館で一夕を持った。同流の先輩江波戸、吉谷、玉伊の諸兄と共に芸談に
花が咲いた、準備不足の為学生諸氏の妙演に接する事が出来なかった事は心残りであった。
(音)