(原文はB5判 縦書き3段組み)
六甲若林、松泉館の敷舞台で八月十五日(日)午前九時半始曲、次の番組通り第六回大会を開催。
(文中敬称略)酒井利貞師範(十五回)定刻前参着、三十名が蟬の鳴くお盆の最中に汗を拭いつつの
熱演あり謡い納めは正に午后六時。
神大生風韻会有志の連吟も、平素の精進振りを発揮し、独吟は新顔林一馬、井口、栗岡、乱曲高井
長老の淡々たる江口(キリ)。
仕舞は風韻会員三番を序に、高井長老実盛(キリ)、谷本、伊藤、夫々半世紀に亘る妙技の披露あり、
舞囃子を栗岡、老武者頼政公さながらの渋みを見せ、配するに若林(大)、前田(小)、笛藤谷師夫々至芸
を以て囃子方を勤め、正に緊張した舞台面でした。後見酒井も大変気を使った由。素謠八曲も真摯な
態度で終始され、夫々の持味を出されたのは本会の持つ和気の裡に古典文学の良さが随処に発揚され、
今後各位が公私共多忙な裡にも年数回の会合は大に有意義と共感されました。
懇親会には井口幹事長挨拶後藤谷、笠田新進の師範も加えて十八名芳醇を味わいつつ早朝からの各曲
を想い愉快でした。伊藤則忠の鵜飼の話や来る十一月神大謡曲部再建二十周年大会を協賛して砧の番囃
子を凌霜人で特別出演の話題に話が咲き、東京謡曲会のことなど文字通り関西のお盆の十五日は凌霜謡
曲デーでした。
各宗の経文句が本日謡の随処に在り、お互いの先祖の諸霊も天上より『結構』なことだと微笑してく
れた事と思う。
尚第七回は来春二月に松泉館か和歌山で開催の予定です。
若林(秀)、小林(善)差支の為欠席されたが神大学生七名が賑やかなものにして呉れ、広島広陵高
校教諭香川義行(二十二回)甲子園高校試合の直前迄小督のワキや地謡に参加された。尚、香川から井
口代表宛書信次の通り。
凌霜うたひ会に出席して先輩各位の至芸を親しく拝見することのできました事は、野球の惜敗をつぐ
なって余りある感を覚えた次第、場所といい、集る同窓といい、老若を問わず、一堂に会し得たことは、
はるばる広島から出た甲斐があったと喜んでいます。
到底普通の謠い会では味い得ない楽しい雰囲気でした。惜しむらくは試合を控えていたため終りまで
ご同席かなわなかった事でした。又の機会を楽しみにして、御礼迄。
謡 曲 会 番 組
素 謠
尾島 洋三
加 茂 山本 正人 井口 宗敏
青木 又雄
通 盛 豊島 又衛 酒井 利貞
トモ 井口 宗敏
前田 英一
小 督 谷本 繁 香川 義行
連 吟
敦 盛 シテ 安藤幸雄 尾島・岸本・平岩
ワキ 内海孝彦 植田・梶谷
芭 蕉 福光 家慶 藤井 茂
豊島 又衛
女郎花 田中 六郎 青木 又雄
独 吟
紅葉狩 林 一馬
和 国 井口 宗敏
径山寺 栗岡 治作
江 口 キリ 高井 勘太郎
子方 岸本 公男
三井寺 前田 英一 和田 伝三郎
平岩 正義
仕 舞
紅葉狩 安藤 幸雄
田 村 キリ 尾島 洋三
羽 衣 岸本 公男
実 盛 キリ 高井 勘太郎
鉄 輪 谷本 繁
鵜 飼 伊藤 則忠
安達原 伊藤 則忠 藤井 茂・藤尾 豊一
舞 囃 子
頼 政 栗岡 治作 若林与左衛門 藤谷 政二
前田 英一
融 大森 三郎 若林与左衛門
祝 言
(藤尾記)